消毒の功罪

前回に続いて、もう少し消毒について書きます。 消毒の目的は言うまでもなく、傷に付着した細菌を殺すことです。しかし、実際には細菌に感染した汚い傷というのはそれほど多いものではありません。擦り傷などは流水でよく洗浄するだけで充分です。万一感染があっても、適切な抗菌薬の投与で細菌を殺すことができます。 傷や潰瘍となった皮膚は、それを修復するために様々な細胞成長因子を分泌して皮膚の細胞の増殖を促し、創部を閉じるように働きます。ところが、そこを消毒するとせっかく増えてきた皮膚の細胞を殺してしまうことになるのです。また、局所を乾燥させると、折角分泌された細胞成長因子が働かなくなってしまいます。つまり、傷を早く直すためには、細胞を培養する培養皿のように、栄養分のたっぷり入った液体で創面を満たしておくのが一番よいのです。 しかし、一方で、歴史的には消毒が多くの命を救ってきたことも事実です。19世紀の中頃まで、外科手術を受けた患者の死亡率は恐ろしく高いものでした。それらはすべて傷の化膿によるものでしたが、何と、この時代は化膿が細菌という微生物によってもたらされるという事実が知られていませんでした。1861年スコットランドの外科医、リスターは、当時、フランスのパストゥールらが傷の化膿が微生物によって起こるという学説を唱えたことにヒントを得て、手術後の創部を消毒薬の石炭酸で覆うことによって、術後の死亡を大幅に減らすことに成功しました。リスターは1869年にエジンバラ大学の外科教授になりましたが、今でもエジンバラ大学医学部の玄関には彼の業績を称える記念コーナーがあります。 従って、消毒を好むのはある意味で外科医のDNAであるのかもしれません。しかし、細菌というものが詳しく研究され、それに対するさまざまな抗菌薬が使えるようになった現代では、消毒はもはや過去の遺物になりつつあるのかもしれません。

傷は消毒してはいけない!?

昔は常識であったことが180度変わるということが世の中ではままあります。これは医学の世界も例外ではありません。例えば、現在、スポーツ中に適度な水分補給を行うことは常識ですが、私たちが中高生のころは運動中に水を飲むと「バテる」とされ、部活の練習中にもできるだけ水を飲むなと言われたものです。今では考えられないことですが、ちょうど真夏の今頃、炎天下での練習の休憩時間、水を飲みたいのを我慢して、塩をなめながら熱いお茶を啜っていたことを思い出します。 傷の消毒についても同じことがあります。子供のころ、遊んでひざを擦り剥くと「赤チン」をつけて傷に息を吹きかけたものでした。つまり、傷は消毒してできるだけ乾かして治すということが常識でした。私が医師になりたてのころもこの常識は生きていました。皮膚の手術後は入浴を禁止して、毎日傷を消毒してガーゼを変えていました。また、床ずれの潰瘍にドライヤーで熱風を吹きかけて乾燥させていたこともあります。 しかし現在では、傷の消毒はできるだけ行わず、入浴はむしろ積極的にしてもらい、創傷面は乾かさずに湿潤した環境に保つというのが、傷の治りを早くするための常識なのです。私たちの診療所でも皮膚の手術を行った患者さんは翌日から入浴してもらい、原則として再診は翌日と1週間後の抜糸時のみとしています。また、擦り傷などはドレッシング材を貼るだけで、毎日消毒に通院してもらうことはしていません。

皮膚の老化は予防できるか?

2009年の日本人の平均寿命は女性が86.44歳、男性が79.59歳で、いずれも4年続けて過去最高を更新したことが先日公表されました。これによると2009年に生まれた赤ちゃんが七十五歳まで生きる割合は、男性71・9%、女性86・5%、九十五歳まで生きるのは男性8・2%、女性23・7%と試算されるということです。考えてみればこれは大変な数字です。特に女性は10人中9人近くが少なくとも75歳までは生きることになる訳です。「人間五十年。下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか。」幸若舞の謡「敦盛」の一節に謡われているように、寿命が50歳程度であった時代はすでに遠く、これからはそれからさらに25年、35年を生きることを考えねばなりません。 関節などの運動器の寿命は人間の場合、約50年と言われており、「敦盛」の頃の寿命とほぼ一致しています。従って、中高年になって膝の具合が悪くなったり腰が痛くなったりするのは、ある意味仕方のないことかもしれません。老化は避けて通れない宿命です。 皮膚もご存知のように老化します。若かりし頃、瑞々しく張りのあった肌は乾いて皺やシミが年を重ねる毎に増えてきます。しかし、このような皮膚の老化現象の多くは実は紫外線の影響を大きく受けていることが分かっています。これを「光老化」と言います。つまり、皮膚の老化は紫外線防御を徹底して行うことで、かなりの部分予防することが可能なのです。特に子供時代は屋外で過ごす時間が多く、一生で浴びる蓄積紫外線量の約半分は成人前に浴びるとも言われています。紫外線は皮膚の老化だけでなく、皮膚がんも引き起こします。また、眼に対する影響も大きく、白内障の原因としても重要です。したがって、小さい頃から紫外線対策を心がけることがこれからの長寿時代には益々大切になります。紫外線防御の具体的な方法については改めて書きます。